22歳酔っ払って書きます。

空き時間があり、カフェにポッと入って仕事をしようとしたが、ここのカフェにWIFIがあるから入ったのになんどやっても接続ができない。
パリじゃ、よくこんなことが起こるから慣れたが、仕事もできないし、画面がバキバキに割れたアイフォンは電池がすぐ1パーセントになる病気に感染してるから、もうブログを書くこととする。
さて会食が終わり、家に帰って来た。
べろんべろんでこの文章を書き直しているが許してくれ。
今日はねセックスと愛について書こうと思う。
愛のあるセックスか愛のないセックス議論は、もっともっと若い時に「変わりがない」と言ってた友達に出会ってから、現在進行形で昔から自分の中のテーマとして白熱中である。
そもそも以前も書いたが、愛のないセックスは私には無理だ。
でも周りにはそれができる子がいて、たまに本気で尊敬する。
どんなものなのかという好奇心のみで一度経験してから二度としないと決めた。
終わった後に来る喪失感と皆無心をどうコントロールしているのか、世にいる人間は天才だと思う。
男性は可能なのかもしれないが女性としてできるなんて想像がつかない。
でも、たまにそんな自由な女性に憧れる時が正直ある。
時より寂しくて羽目を外しそうになることがある。
でもきっとそれは寂しさを埋めるだけで、それ以上の負の感情が襲ってくるのもわかっている。
相性が良く愛している人とするセックス以上に気持ちのいいものはないんだよ。きっと。
しかしながら愛はシンプルに見え複雑で、
愛してはいけない人を愛することだってあるし、
自分にとってプラスにならない人を愛することだってある。
でもそれでも、どんな形でさえ、単純に愛を感じることほど幸福なことはないし、
とりあえずは愛する誰かがいる喜びを感じたいとどんな時も思う。
そもそもなぜこのテーマにしたかというと
以下のトピックで周辺では議論が起こる。
不倫、浮気、歳の差、禁断の関係、
ただ
ふと、
幼くて一生懸命だった高校生の恋愛を思い出し、
どんな時も素直に愛するその瞬間。
誰しもがその時は美しかったなと思う。
だとするなら大人になんかならず一生子供でいたい。
大人になって見てから気付いたが、騙すとかヤりたいと言う感情だけで世界全体を手のひらえコロコロしてくる人間はたくさんいた。
もう単純に負なんか一つもな幸せを思う愛って
ぼーっとしてるだけで幸せすぎて涙が出てくる。
それが他の何者にも変えられない。世界で最も美しいものなのだと思う。
なんてことを良く大好きな人間によく言われる。
そもそも愛のない性交渉なんて、1人でする延長線上でしかない。
やっぱり嫌いだ。
って大好きな人によく言われるのである。
人間後悔することもあるが、後ろを見てはいけないし、
過去を変えられないと思うべきことを思って未来に生きるべきだし、
未来の生き方次第で過去なんてどうとでも変えられると思うんだ。
本気で愛してると言われることがこんなにも幸せだと思った話。
自分を心から愛して生きていきたい。
そう思うよね〜ね〜〜
あな