価値のある経験が輝くから無駄な経験も必要らしい。
お久しぶりです。あなです。
「よく無駄な経験ことなんてない。」
なんて、聞くことがあるけど、そんなことはない。
人生においてどうしょうもなく無駄な経験はある。
今、恒例の飛行機の中。沖縄から北海道の約4時間のフライト。
隣では、お菓子を散らかして、2名席に3人のちびっこたちが座っている。
お姉ちゃんらしき子が、「北海道楽しみだな」って屈託のない笑顔で言うから、
もうコロナなんてどうでもいいって思った。(笑)
こんな笑顔を永遠に守りたいと思った。
久しぶりに2時間以上のフライトだから何をしたらいいかわからなくなったが、
やっぱり雲の上から見る空はこの世で一番美しいし、生きていてよかったと思う。
美しい。悩みなんて全部どうでもよくなって、今日まで生きていることにだけに感謝したくなる。ああ美しい。
やっぱり月に一回、この美しさに触れていたいと思う。
これが見られなくなるなら死んだほうだましだ。それは嘘だけど。
「明日死んでもいいと思うように生きる」というのが私の人生のテーマであり
、後悔してでも自分が信じた選択を選びたい。
誰かの選択ではなく私の選択で自分の軸で生きたい。
ちゃんと責任を持ちたいし、“たられば”なんて終わってから言いたくない。
会いたい人には会いに行くし、自分のしたいことには忠実で行う。
だから未来に後悔があっても、今日までの選択肢に後悔がないように生きていると決めている。
ずっと、明日死んでもいいと思っていた。
でも最近変わって、明日死ぬのが怖いなと思い始めた。
きっかけは忘れたけど、きっと何の反省もない満足のいく決断なんて一生できないと思ったからだ。
その時のベストを選んでいる自信しかないが、どんな選択を選んでも100点を取れない。
だからやっぱり死ぬのは怖い。
いままでのすべての選んだ選択がベストな自負はあるが、
それでも後悔はするし、満足もしている。
多分正解も100点もないのだから、自分のなりたい自分に近づき努力する他、私はない。
死ぬのが怖いと最近おもったとき、同時に自分は醜い欲の塊だとも思った。
他者からの評価も自分からの評価も欲しいし、答えがないのに、より評価される方を選びたいとも思う。醜い。
でもその醜さが、人間らしくていいじゃないかと思う。
弱さがない人間になりたいって思っていた。
弱さを見せない人間に憧れていた。
でもそれは私じゃないから、
欲も弱さもダメダメなところもあるのが私だった。
醜いと同時に、心から自分が愛おしい。
雲の上の空が更に美しく私を照らしている。美しい。
先日何度か行くバーで飲んでいたら、店長と二人きりになり、閉店後も居させてくれて、いろいろ話していた。
彼は周りの人の死を3回経験していて、自分を狂わせた死人が憎いと言っていた。
なんて嘘のない綺麗な感情なんだろうと思って「美しいですね」と言ったら彼は笑っていた。
「自分の大切な人は皆死んでいくんだと思って、人を心から信頼できない。いつかこの人達も僕のせいで死ぬと思うから。」と。何年も何十年もかけてやっとできた言葉だと思ったから、余計美しいと思った。そろそろ帰らなきゃと思ったので、「お会計を」と言ったら「いりません」と言われた。最近行きつけのお店は払わないという事態がおこる。帰り際に「ただ、生きてください。上からで申し訳ないですが、生きていいです」と酔っ払った私が言ったら、彼はなにか重いものを急に背負った人のように動かなくなった。その後、帰宅したら「響きました」と連絡がきた。
あーーーーエモい・・・・。エモすぎる。
なんて美しいんだと思った話。
「全ての経験は意味がある。」という言葉があるが間違っていると思う。
意味のない経験はある。なにをしているんだと自分を憎むこともある。
ただ価値のある経験をしたときに、いかに価値があるのか教えてくれるのが意味のない経験だと思う。
一生意味のない経験をしていたらそれは意味のない人生。
自分に誇れる価値のある経験を一度でもしたら、意味のない経験が光るのだと思う。
だからその輝きの為に、自分で選択して、自分で努力をし続けたいと思う。そう思う。。
さて、隣のちびっこたちが、外の景色をみて「ああ、綺麗」と何度も言っている。
すんごくすんごくわかるよ、その気持ち。
私も同じことを思っていた。
すんごい綺麗なブログだなあああ。
あな