ああこの思いを言葉にああああ

人間初心者22歳女子独り言日記

ガチで書いた私のストーリー

 

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改めまして“あな”と申します。 

 

自分がどんな人か言うのがとてもとても苦手です。が、頑張って書いてみた笑

 

21歳女子大生、現在夢を叶える為休学しています。

誰にも言って来なかった過去も勇気を出して書いて見ました。

 

これから、少しづつ書き直しまくりながらもっともっといい自己紹介記事を書きますねまた戻って来てね

 

 

 

 

 

生まれ 

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 秋田県に生まれフィリピン人の母と日本人の父を持つ。

 8代続く家系で、長年待っていた長男の子供だった為、親戚中が喜び、これまでにないほど甘やかされて育つ。

 

 

 ショッピングセンターのおもちゃコーナーに行き、欲しかったおもちゃの箱を全部開ける。母に怒られそうになるが、とびっきりの笑顔で回避する。

 お会計はうん万円だったそう(ごめんねお母さん) 

 

 

   買い物について行った時、いつも私はお菓子売り場の真ん中にカゴをおく。全種類のお菓子を全部カゴに入れる。その後ろで母は全てのお菓子を戻す。カゴの中が増えないことにギモンを持った幼稚園時代。

 

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家庭がどん底だった小学生時代 

 小学校はド田舎。

    夏にはセミ、秋には赤とんぼがギャンギャンいて360度田んぼの田舎ランド

 

  父が小学1年生の時にうつ病になり仕事をやめることになる。外国人の母だけの給料じゃ生活できるはずがなく、電気水道ガスが止まった家を経験する。

 支払い請求の電話で鳴り止まないどん底家庭。

 

 そんなどん底の中、一人っ子の私はテレビが大親友になる。そこで見た経営者のドキュメンタリーを見て「経営者になりたい」「自分で組織を作りたい」と思う。

 

 学力が低い方だった私は、先生の反対を押し切り、市内中央部の中高一貫校を受験し、合格し先生にガチで驚かれる

(電話で合格の報告した時の先生の驚き方は一生忘れません笑)

 

 

 男の子と初めてお付き合いをし、電話料金がかかることを忘れ、毎日電話をし、電話料が高額に。母にまじで怒られる。(ごめんお母さん笑)

 

  

 

精神病になりたくて、なれた中学生時代

 

中学生の時、田舎ランドから市内中心部の学校へ。

 

 インターネットが使い放題じゃなかったのにもかかわらず、親のケイタイで、新しくできた友達とチャットをしまくり、ネット使用料が7万になり、母にまじで怒られる。

   中学生ながらフリマやお小遣いなどで全力で7万を作りお金を親に返す。

  

 

   この頃、祖母のボケがどんどん悪化

その日のご飯やお風呂をも忘れ、トイレの感覚もなくなりだした。

う◯ちがトイレ以外の場所に落ちてる状態。言い方は悪いが本当に臭かった

 

 

 

 家族が交代でお風呂に入れたり、尿とりパットを交換してたが、家族の介護はとても難しかった。ちょっとしたことでこっちが怒ってしまったり、自分で何もできなくなることを信じれずよく祖母は泣いていた。

(今思うと祖母が一番辛かったと思う)

 

 

   ずっと頑張ってきた母も限界だった。父は家にいて家事ができず、お酒もタバコもやひっきりなし。祖母の介護もあるし、働かなくてもいけないし、家事もしなくてはならない。

(料理も掃除も洗濯も自分のものは自分でが我が家のルール。揃ってご飯を食べるのは週に数回)

 

 

   人には笑顔しか見せない母が、午前しか働けなくなり、部屋にこもるようになり、ヒステリックになりやすく、発狂までするようになった。

(父以上に母も精神的に相当参っていた。)

 

 

「もう一緒に死んじゃおうか」

そんなことを学校帰りの真っ暗な車内で言われたこともあった。

(この記事を書いてて思い出した。人間て本当に嫌なことを記憶から消せたりするよね)

「いや、生きたいな」と言いながら泣いてた。

(今日まで生きてて本当によかったよ)

 

   

 そんなこんなで、中学二年になり、外の世界で友達がたくさんできた私は、調子にのり始める。どちらかというと、最初はいじめっ子のようでした

(今思うと家庭の反動だったのかもしれない)

 

 

   調子にのった私は逆にいじめられる

 (そうされて当然だったが、あの時は本当に怖かった〜(笑))

   

始まりは、仲良くなっていた数人から来たメール

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(本名があさなと申します。)

(元気がない時にこのメールを見ると、頑張ろうと思えるので、今はとても感謝してます)

 

 

 学校という社会のどん底に落ちる。

その頃、部活でも友達が離れて行き、ひとりぼっち。よくわからないけど「学校に行きたくない」といい、リスカをし始める。

 (傷が残らない程度にうすーーく笑) 

 

 

 とりあえず精神病と言われたい厨二病にかかる。病院にいき、検査をし、言われたのは自律神経失調障害

 病名を言われたことに全力でよろこぶ。本気で嬉しかった。(病名:厨二病

 

 

 そこから新しく仲良くなった友達が支えてくれ、部活は休部という形でなんとなく学校に復帰する。

 

 

 お菓子持ち込み禁止だったのに、ミンティアを食べてるとこを先生に見られ、復帰後ガチで先生に怒られる。

  作った言い訳は「口が臭いとみんなにいじめられてミンティアがやめられない」怒ってた先生も何も言えなくなり、「隠れて食べなさい」と言われる。

(ごめんね先生うそです)

  

 

 

 自分を全力で甘やかしていたからか、部活に行けなくなる

   その時、仲良くしていた部活の先輩に「“砲丸”の空きがあるから“砲丸”で大会に出なよ」と言われ、練習2回で砲丸の大会に出る。

 砲丸の投げる時の入口を間違え失格になる。

 

 

 

 人に嫌われるのが本気で怖くなった時期。明日もしかしたら誰かに嫌われるのではないかということだけ考えるようになる。常に自分の悪いところを考え、人に好かれるためにはどんな人間になるべきかだけ考え続ける

(今思うと異常なまでも考えすぎてた為、ほんとうに精神病だったのかもしれない)

 

 

夢を持った変態高校生時代

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 (高校3年生の時の学祭)

 

 高校はエスカレートで商学科に入学し、商学系の専門分野を学ぶことに楽しさを感じる。

 

 「高卒で銀行なんかで働こうかな」と思ってた三者面談の時に"経営学"という大学の赤本が目に入り、小学生の時に見たドキュメンタリーを思い出し、ボソッと経営学を学びに大学に行きたいかも」と言ったことがきっかけで、大学進学に向けて私の道が作られ始める。

 

 

 あの時の経済状況なら「大学なんて行かせられない」と言うはずなのに、私の両親は否定をせず応援してくれた。

 (母が外国人だった為、日本の大学の費用の感覚がわからなかったという理由もあります笑)

(学費が安いので自分で学費を払えてます大学さんありがとう)

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 母がフィリピンに支援物資をしてる姿を見て、高校でもやれたらと思い学校で支援物資イベントを企画をする。

   これが人生初めて自分で計画したイベント。 

 同じクラスの友達が沢山物資を集めてくれ、教室の後ろが支援物資の服とおもちゃだらけになる。

(そんなクラスメートの優しさが今も忘れられないくらい、心いっぱいに染みましたありがとう)

 

 

 韓国の姉妹交流に2度参加。全く違う世界を知ることができる海外が好きだと実感し、海外への憧れが強く増す。

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 合格率が高い簡単な検定には落ちるのに、一般向けの難易度が高い検定には受かる。

 落ちた人を見たことないと言われる面接には落ちて、その上の級の面接には受かる。

    自己推薦入試で県立大学に落ち、学校推薦入試で受からないだろうと言われた国立大学には受かる。自分は変態なんだと知る

 

 

 

 「外国語学校とも言われる大学へ進学予定だった為、他の授業なんて受けず8割の授業で英語だけを勉強する。

 

 しかし私はこのやり方じゃないと思い、大学を合格した12月から2ヶ月間カナダ親戚の家で英語に触れながら勉強したいと先生方に本気でうったえる。 

 

 進路指導の先生に「センターで一般入試と同じレベルになるためにみんなと同じように勉強しろ、なんでできないんだ甘えだ」と強く言われ、高校の教育が嫌いになる。

  

 1日5時間以上英語のみ勉強をした。しかしセンターでの点数は最初の模試と全く変わらなかった。

 むしろノー勉の教科の方が2倍の点数で、自分のことを嫌いになる前に、進路指導の先生を心から嫌いになる。

 

 

 

この頃未だに考えすぎ病重症だった私は、常に相談を聞き、他者の話をしていた。休み時間になる度に自分から悩んでる子の相談を聞きに。

(その理由は自分の悩みを考えたくないと言うことと、誰かの役に立って初めて存在価値を感じたから)

 

 

 そんな私を見て友人が「人の幸せより自分の幸せを考えなよ」と言ってくれ、自分の幸せとは何かと考え始めるようになる。 

 しかし、全然自分の幸せがわからなくて、急に「もう話を聞きたくない」と相談に来てくれる子をシャットアウトしたりもしてた。

 

 

 

    その後卒業式までの1ヶ月を一人でカナダに行き、世界の広さを実感する。

 (英語は勉強してたが、結局カナダでも英語のレベルは上がらなかった。笑)

▼気温マイナス25度のナイアガラの滝の前。

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無事合格した国立大学。

自分の夢を考える時間ができる推薦入試のおかげ(面接の為に夢を嫌でも考えなければならない。かつ、合格が12月)で、「自分の好きな製品やサービスを世界に届けたい」と自分の夢を持つ。

 

 

 

初めて心から自分を愛せた大学時代

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 大学に入学し、男子バスケットボール部のマネージャーをやるも同期と意見が合わず10ヶ月でやめる

 

  入学して半年後、私と性格が真逆でステキな男性と付き合い、自分を大切にすることの重要性に気付く。出会った人類の中で最も優しく、周りと自分を大切にできるスーパーマンのような人。

(彼との話は山のようにありますが割愛w)(出会ってから毎日が生きやすくなりました心からありがとう)

 

 

   ここで5年感染していた考えすぎ病は治りだす。

(愛のパワーはすごい笑)

   

 

 いつも中途半端だから何かしなきゃと思い、行動し始める。

 

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 はじめに大学の地域活性化プロジェクトに参加する。その後そのプロジェクトの先生によくしてもらい、大手化学メーカーで長期インターンをし、短期留学を経験する。イベントを色々企画し、シリコンバレーの起業家育成プログラムに参加する。

 

 

  さらに大学の「自分の好きなブランドのマーケティング分析をしろ」というレポートで、最高級の評価がつき、この期末レポートは完璧なんだと思い込み、レポートで取り上げたブランドの社長のフェイスブックを探しメッセージを送る。

 

 

    そこで「海外にもっと目を向けて欲しい」と調子の乗ったことを言い、翌年休学してそのブランドの海外立ち上げをやらせてもらうことになる。

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 (初めて仕事で行った海外。テンション上がりすぎてシャンゼリゼ通りで名曲”オ〜シャンゼリゼ”をリピート)

 

 

 祖母が亡くなる。

 大学に入ってからはほぼ祖母に会う為に実家へ帰っていた。老いてく祖母に、ただ会いにくることしかできない自分が悔しくて、どこからかいつも永遠と涙が出た。

 笑いながらずっと泣いていた。

 

 「お願い生きて」と毎日言っていた母が苦しむ祖母に「十分頑張ったよ」と言った次の日の朝。私が滞在を1日伸ばした最終日。 

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 冷たくなり、かたくなる体。初めて、人の死を知った。ものすごく寂しいもので、簡単に自分から絶ってはいけないものなんだと初めて知りました。

 

 

 高校の時に持った「自分の好きな製品やサービスを世界に届けたい」という夢を叶えたい。

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  立ち上げまでの時間、自分のしたいことをしまくり、行きたかったところへ行きまくりました。ビビって経験できなかったこともたくさん経験できました。

 

そして今立ち上げの為のミッションを遂行中です^^

 

(現在進行形の話を事細かに書くのは2年後くらいにしますね。まだ人間初心者、人生の途中で、これ以上に苦しむことも喜ぶことも経験してくと思いますが、優しく見守ってください。)

 

 

 

 

 

 

⇧見守ってくれる方は是非読者になってほしい!頑張れる

 

 

 

ここまで読んでくれてありがとうございました。

長かったよね長かったよねありがとうね。

嬉しいなああ、うおおおおおおおおお。